ふるさと大使訪問 第1回 山田 和彦 氏
ふるさと大使訪問の第1回目は、月島機械株社長の山田 和彦氏です。月島機械本社に出かけ、インタビューさせて頂きました。
室蘭清水ヶ丘高校 15期、昭和44年に弘前大学を卒業し、月島機械株式会社に入社。平成12年に取締役、平成17年から現職である代表取締役社長兼社長執行役員をされています。
月島機械株式会社は、東京の下町:月島で、製糖機械の設計・製造をするために1905年(明治38年)に創業。現在は、水環境事業(上下水道などの官需)と産業事業(民需全般)の分野において、製糖機械の設計、製造で培ったコア技術を適用した各種機器やプラントの製造・販売事業をインターナショナルに展開されています。東証一部上場企業ですので、関心のある方はホームページをご覧になってみてください。
■室蘭での幼少期の思いでについて------
お父様が日鋼に勤めていましたので、御前水町の見晴でお生まれになり、鶯沢、天沢と転居し、室蘭を離れる時には天沢のブロックに住んでいたそうです。当時は高校進学が学区制、2大進学高校の一つである清水ヶ丘高校に進学されました。「朝は、バスで通学しましたが、下校時はバスの便が少なかったので、冬でも毎日歩いて家に帰っていました」。と簡単に言われたので、そーですかと応えたものの、時間を聞くと「約1時間」との事。(筆者:そー言えば、昭和30〜40年代当時は、皆よく歩きましたね。バスの便が悪すぎです。1時間に1〜2本。。。)「当時は、室蘭市の人口が17万人ほどで、浜町など町がとても賑わっていたのを覚えています」と懐かしそうに語られました。室蘭で行われる清水ヶ丘高校同窓会と、東京で行われる東京同窓会に毎年出席しているそうです。昨年の東京同窓会は約320名が集まるなど、地方の高校同窓会としては全国でも3番目くらいの規模を誇る同窓会だそうです。(筆者:山田社長は、東京室蘭会の副会長、室蘭清水ヶ丘高校東京同窓会会長もされています。)
■現在のお仕事の中で、故郷室蘭とかかわりがあった事柄または人物------
「日本製鋼所は、月島機械の第6位の株主で資本提携の関係があります」「新日鉄も同様であり、新日鉄の元副社長の方には、月島機械の社外取締役に就任していただいています」「室蘭工大とは昨年4月、技術開発と技術者教育の分野で包括協定を結びました」と仕事でも室蘭とは深いつながりで結ばれています。そのような背景から、年に3回以上は室蘭に帰られるとのこと。また、青山市長をはじめ、室蘭から東京に来られる市役所や企業の方々がよく山田社長を訪問されるそうです。「市役所や室蘭の企業の方々と意見交換をする際、室蘭の話を聞くのが楽しみなんです」「青山市長には頑張ってもらいたい。市議会議員の時から知っています」。と期待を込めて語られました。
■室蘭ふるさと大使の活動でのエピソード------
「若い人で室蘭を知らない人が多いように感じています。室蘭の場所を説明するのが大変な時もあるのです」と思い出しながら話されました。「今は観光客が素通りする工場の町ですが、室蘭が工業だけでなく観光面でも元気になるようにPRしています。金屏風・銀屏風の自然の絶景、地球岬からの見事な眺めなどをもっとアピールしていきたいと思います」。
「室蘭は、夏も暑くなく、冬はそんなに雪が積もらない、住みやすい町です」「天然の深い港、産業があり、インフラも整備されている、そして地震に強い」「室蘭市の企業立地協力員をしていますので、寺島副市長ともよくお会いして意見交換をしています。室蘭市から送られてくる広報誌に目を通したり、室蘭出身の方との面談を通じて、市の現況を把握するようにしています。そのお陰もあって室蘭市の方以上に室蘭の事を良く知っているかもしれません(笑)」と。
■現在の室蘭に思うこと------
「坂の上にお年寄りが住み、坂の下に若い人が住んでいる事象もあるようです。お年寄りの日常生活の不便さを解消する取り組みなど、市でもいろいろと考えているようですが、お年寄りが住んでいる場所から動きたくないそうです」と、現在の市の問題にも触れていました。近い将来の日石製油所の閉鎖問題、ヤマダ電機の進出などについても話されました。
「今年の7月は室蘭での仕事もありますので、『室蘭市開港140年・市制施行90周年の記念式典』には参加する予定です。式典において、室蘭の知人や友人達に会うのが楽しみです。団塊の世代にとっては、年とともに故郷を思い出す機会が多くなり、懐かしくなります。同窓会や同期会では、かならず室蘭の話になってしまうんですよ」と満面の笑みを浮かべて話されました。
山田社長ならびに社長室・秘書室の皆様、大変にありがとうございました。